日本理化学工業という会社をご存知ですか?
 その会社は神奈川県川崎市にあり、昭和12年の設立です。主な製品はダストレスチョーク(粉の飛ばないチョーク)、この分野では30%のシェアを持っています。従業員は現在74名、そのうち54名が知的障害者、それも重度の障害者が半数を占めています。
 知的障害者の社員を採用するようになったきっかけは、昭和34年、近くにある養護学校の先生が卒業生採用の依頼の為、当時太田区にあった理化学工業を訪ねて来られた事が始まりです。その頃は知的障害者を雇うことなどほとんど考えられなかった時代です。当時専務であった大山社長は、悩みに悩みました。そして出した結論は「お気持ちは分かりますが、うちでは無理です。申し訳ありませんが・・・」でした。
 しかしその先生はあきらめずにまたやって来ました。大山さんは再び断りました。
 そして3回目の来社の時、大山さんを悩まし、苦しめている事に堪えられなくなって先生もついに諦めました。しかし「1つだけお願いを聞いて頂けませんでしょうか」と申し出られたのは「もう採用してくれとはお願いしません。就職が無理ならせめてこの子たちに働く体験だけでもさせてやってくれませんか?そうでないとこの子達は、働く喜び、働く幸せを知らないまま、一生施設で暮らす事になってしまいます。
 私達健常者よりは、平均的に遥かに寿命が短いのです」と地面に頭をつけるようにして頼まれました。その姿に大山社長は心を打たれ、1週間だけという条件で障害を持つ2人の少女に就業体験をさせてあげる事になりました。
 会社は午前8時から午後5時まで、しかしその女の子達は雨の降る日も、風の吹く日も、毎日朝7時には玄関に来ていたそうです。そうして1週間が過ぎ、就業体験が終わる前日、その頃十数人いた従業員全員が大山社長を取り囲み、「明日であの子達の就業体験が終わってしまいます。大山さん、来年の4月からあの子たちを正社員として雇ってあげてくれませんか?彼女たちに出来ない事があれば私達がカバーします。お願いします」と言ってきました。
 仕事は簡単なラベル貼りでしたが、彼女達は10時の休み、昼休み、3時の休みも気にせず、幸せそうな顔をして一生懸命、仕事に取り組んでいたそうです。
 大山さんは社員の気持ちに応えて、彼女たちを正社員として採用することにしました。

 それ以来、障害者を少しずつ採用するようになりましたが、大山さんには分からない事がありました。それは会社で毎日働くよりも、施設でのんびり暮した方が幸せではないのかと思うからです。ある時そんな疑問を知合いのお坊さんに聞いてみました。
 するとお坊さんは「そんなこと当たり前でしょう。幸せとは、?人に愛されること、?人に褒められること、?人の役に立つ事、?人に必要とされることです。その内???は施設では得られないでしょう。この3つの幸せは働く事を通じて実現できる幸せなんです。だからどんな障害者の方でも、働きたいという気持ちがあるんですよ。施設の中でのんびり楽しく、自宅でのんびり楽しくテレビだけを見るのが幸せではないんです。真の幸せは働く事なんです」と教えられたそうです。

 その言葉によって大山さんは
「人間にとってメ生きるとは必要とされて働き、それによって自分で稼いで自立することなんだ。それならそういう場を提供することこそ、会社に出来る事ではないか。企業の存在価値であり、社会的使命なのではないか」
と考え、それをきっかけに以来50年間積極的に障害者を雇用して現在に至っています。
 そして何と最初に採用した女の子の一人はまだ、日本理化学工業で働いておられます。勤務歴50年、御年65歳です。
 しかし初めの頃は障害者を受け入れたものの、苦労の連続。どうやって仕事を教えればいいのかも分からない状態でした。普通は自分たちが作ったラインに人間を合わせるものですが、大山さんは、その子たちが精一杯仕事が出来るように、一人ひとりの状態に合わせて機械を変え、道具を変え、部品を変えていきました。
 一人ひとりと付き合いながら何が出来て、何が出来ないのかという事を少しずつ理解していき、人に合わせて工程を組み立てていく?。
 能力に合わせて作業を考え、その人に向いている仕事を与えれば、その人の能力を最大限発揮させることが出来、決して健常者に劣らない仕事が出来る事がわかったそうです。そうやって創意工夫を繰り返していきながら、知的障害のある人を採用し続け50年、現在の会社があるのです。

 日本理化学工業を取り巻く環境は決して明るいものばかりではありません。少子化の影響、ホワイトボードやパソコンの普及でチョークの使用量が減っている。そこで今、日本理化学工業ではクレヨンとチョークとマーカーの利点を組み合わせた新しいチョーク「キットパス」を開発し売り込みに奔走、明日への生き残りに取組んでいます。